799回です。皇居東御苑へ行ってまいりました。
暖かな日が続きますね。急に寒さが来たりすると困るのですが。
本日は、神田へ行く用がありましてその足で久しぶりに皇居東御苑へ行って来ました。
古書店街も本当に久しぶりでした。今日は千代田線の新御茶ノ水で降りて普段は、聖橋の方から出るのですが、今日は小川町側から出て駿河台下の三省堂本店へ行ってみました。ちなみに聖橋がわの出口のエスカレーターは東京メトロで一番長いのではなかったでしょうか、150mと聞いたことがあります。エスカレーターが4本並んでいて階段はありません。結構迫力を感じます。聖橋は、神田川に掛かる橋で川の向こうの湯島聖堂(徳川綱吉が建てた孔子廟・道路を隔てた東京医科歯科大学と湯島聖堂の場所は昌平坂学問所の跡ですね)があることからつけられたと聞いています。今調べてみたら、ニコライ堂と湯島聖堂を結ぶ橋と言うことで名づけられたようですね。結構きれいな橋です。昔はこういう風にいろいろ意匠を尽くしたものが結構ありますね。現代はそうすると直線の美しさなのでしょうか。何か味気ないと感じることがありますが、最近はまた、いろいろ考えられているみたいですね。緑やガラスを使ってビル街もまた変わってきたのでしょうか。余裕と言うとおかしいのですが、何かそういうものをとりれているような気がします。
神田の書店街は、本当に久しぶりでしたが、いろいろな本を読み漁ってきました。って、本屋へ行ったのですから買って来いと言う事なんですが、今回は、下見で、また、資金と置く場所を確保してと言うことですね。時間的なところがあったので、読み漁ると言うのはオーバーですね。それに、調べたいことが書いてある本があちらこちらへあるので、探すだけで結構時間が、でも、本屋へ行ってよかった。また、古書祭り?があったので、ちょこっと除いて見ました。また、久しぶりに古書店へ行って来たので、結構満足本の独特のにおいと言うのかなそれをかぐと何かほっとするのね。変?
ほんのにおいと言うのは、古書は別として、インキや紙のにおいと思うのですね。体に良いとも思えませんが、悪いとも思わないけれど。気持ちが落ち着くなら良いかなと思います。
いろいろあって、気持ちがぶれる。何とかしないといけないのですが、解決しない。とにかくがんばらないといけないなーと思っていると気持ちがどんどん落ち込んできて、良くないみたいですね。ちょこっと気持ちを切り替えて明るく振舞ってみようかな。意外と良いかもしれない。今まで、ほんとに気持ちが後ろ向きになっていたんだなと気がついた。やっぱり歩くって良いんだな。
で、その足で、一ツ橋から皇居平河御門へ向かってみました。三省堂の本店をでて左へ向かいました。古書祭りで良いのかな、それをやっているの脇を通りながら水道橋の駅から来る通りを左へ入ります。このあたりは、何年か前に再開発されて、きれいなビル(マンションかな)ができましたね。以前より歩道が広くなって空間が生まれたように感じました。空が見えるって良いことなんですね。すっきりした感じがします。そして風が抜けますね。右手にジャンプSQと言う広告があってそういえば集英社ビルがあることを思い出しました。お隣は小学館。児童書の最大手ですね。私も子供のころ読んだ世界名作シリーズでしたか、シリーズの名前は忘れましたが、その本が未だにあります。今でも売られているのかな。
さらに通りをまっすぐに歩いてゆくと左利手のレンガの建物は、学士会館、共立学園?如水会館と建物が続いていますね。そして一ツ橋の地名の由来となった一ツ橋と一ツ橋川に出ます。ここは一ツ橋御門の石垣が少し残っています。川の上は首都高速道路ですね。橋を渡ると左手が確か丸紅本社通りの向こう側のビルが毎日新聞社ですね。通りを渡ると木の作りの橋が平河橋。この橋をわたりますと、平河御門門は手前から高麗門、その門をくぐって出た四角い広場が枡形左手に折れて見える大きな門は渡り櫓門つまり高麗門から枡形へ敵が入ってきますが、直角に曲がる為勢いが殺されます。そこを防御する側が鉄砲や、弓矢で攻撃して、敵の侵入を防ぐわけですね。
そうやって高麗門と渡り櫓門の間の敷地に敵をとどめて進入を防ぐと言うつくりになっているわけですね。これは江戸城に限らず日本のお城の門の作り方の基本となっています。また、馬篭宿でしたか妻籠でしたか、中仙道の宿場町で同じく街道が直角に曲がっていて桝形を作っているのだそうですが、そういう跡が今でも残っているのですが、やはり防衛上の為という事でした。ほかの宿場町でもすべてではないでしょうが、枡形は作られていました。枡形と言うのは、道を直角に曲げているところを言います。敵の軍が攻めてきたとき、まっすぐだと勢い良く進んでこれますが、直角に曲げてあるとそこで勢いを落とさざるを得ないですね。そういう意味で作られたのだそうです。
さて、平河橋ですが、この門から入るともう一つ横に門があります。帯郭といいまして、平河門を渡る前に皇居の方を見ますと石垣が右手へ伸びています。竹橋から来る敵を防御する為とも言われますが、良く解らないです。
さて、ここから中へ入りますと入って直ぐに小さな門が右手にあります。先程の帯郭へ出る門ですね。こちらは一般公開されていません。
さて、道を進むと受付がありますので、入園票をここでもらいます。退園の際に返却します。入り口は3箇所ありますが、入ったところと別のところから出ても大丈夫です。入園料は無料です。現在の皇居は旧江戸城にありますが、旧江戸城の本丸と二の丸、三の丸の一部が皇居東御苑として公開されています。
ちなみに毎週月曜と金曜日を除く日は原則として公開される戸言うことです。また年末年始、行事がある場合は公開されません。開園は9時から閉園は季節によって違いますが、16時から17時の間と言うことです。詳しいことは宮内庁のホームページでしらべて見てください。皇居の参観の申し込みもできます。通常では見ることができない場所も見ることができるということです。
さていつもは大手門から入りますが、今日は平河門から入ったので、何か勝手が違います。ゆるいけれど長い坂を上ってくると二の丸へ出ます。梅の林になっているところは初春に梅の香りがとても良いです。梅の横の坂が梅林坂子の坂を上るとビルが建っていますが、書稜部の建物です。皇居の中で違和感を出さないように考えられているように思いますが、ちょっと意外な感じを受けます。坂を上り着たところが御本丸。徳川幕府の中枢部ですね。最も本丸御殿は江戸時代も終わりの文久年間に消失しています。また、大正時代でしたかに本丸の土を取って堀を埋めたとかで建物の基石も残っていません。本丸跡は、広い芝生の広場となっています。また、結構木も多く植わっています。芝生もきれいに刈られていて、家族連れで来ても楽しいと思います。一度だけ芝生の上に座って本を読んでいたことがありますが、良い感じでした。でも、地面から結構水上きって上がってくるのですね。
さて、先程の梅林坂を上って、書稜部の前を通ると天主台の後ろへ出ます。天主台の後ろの門が北跳ね橋御門で北の丸へ出ることができます。北の丸からはこの門から入園できます。
北の丸は、東京都へ下賜されて、北の丸公園となっていますね。日本武道館があるところです。江戸時代は、御三卿の内の2つ、田安家と清水家があったところで、それぞれ、田安門と清水門という門に名前が残っていますね。
さて、天主台は東京23区内で一番標高が高いのだそうですが、50何mかあると言うことです。天主台からの眺めを楽しんだら下へ降ります天主台への上り口のところに四角く石で囲われたところがありますが、金命水と言って江戸時代ここから水を汲んでいました。今は立ち入ることができないばしょなので、中をのぞくことができませんが、昭和の時代いつのころか忘れましたが、そのころまでは水があったとか聞いたこともあります。不確かな情報です。旧江戸城の建物は、ほとんどありません。先程の平河門が江戸時代からの門だと利いたことがあります。また、ひらくぁばしの欄干にあるギボウシには江戸時代の年が刻まれています。遺構のほとんどが石垣と堀ですね。その石垣も戸結構すすけているのですが、これは、何度も大火事があったためと言うことです。高温で焼かれると石の表面が焦げたような感じになるのだそうです。
さて、本丸跡には、いくつかの江戸時代から野の残りがあります。天主台から左手にかなり行くと富士見多門があります。多門と言うのはお城にある武器庫のことです。通常櫓の脇にあります。江戸城の櫓は3っつ残っています。この近くに石室と言う石で作った倉庫みたいなものがありますが、用途は解らないのだそうです。またこの周辺に松の廊下跡と書かれた小さな石碑がありますので、探してみるのも面白いかも知れません。もちろん石碑以外に何もありませんが。さて、天主台より左手には、書稜部に続いて桃華楽堂というタイル張りの建物があります。昭和天皇のお后様が音楽がお好きでそのために作られた建物だそうです。その後ろの建物が宮内庁雅楽部、午前中だと雅楽の音が聞こえてきたりすることもあります。その後ろの坂道が汐見坂。江戸時代はここから海が見えた殻だそうです。その坂を下ると二の丸ですね。
今回は天主台より右手がわから南へ行きましょう。天主台の後ろが北の丸(北)なので、天主台を背中にすると南は正面側という事になりますね。先程の多門や石室を見ても良いですし、芝生でしばらく休憩も良いかもしれません。とにかく突き当りまで行きましょう。天主台を背中に南側の突き当たり右寄りに端正な櫓が見えます。あ、いや、本丸の側から木にさえぎられて見えないですね。櫓があるんですが、これが富士見櫓です。天守閣は江戸時代の早い時期に焼失して以後再建されていないのですが、天守閣に代わるものとされたとも言われています。櫓の近くまでは行けます。名前の由来は、富士山が見えたからだとか??。
富士見櫓から道なりに櫓を背中に右手へ行きますと広い坂道が見えます。この坂を下ってゆきます。書院門跡がありまして、坂をさらに下ると中の門の跡があります。その門の手間に大番所の建物があります。その番所の直ぐ前の石垣が中の門跡です。江戸城内最大の門といわれています。最近になって解体修理が行われたと言う事ですが、大きな石が組まれて居て本丸に向かって見るとっても大きな門であったことが伺えます。今は石垣のみが残っています。中の門の跡を通ると広場へ出ます。正面の長い建物が百人番所、左手が二の丸です。百人番所の前を通って下ってゆくと同心番所三の丸へとなります。三の丸には三の丸尚蔵館・ここでは昭和天皇がなくなられた際、相続税として、国に納められたものを中心に収蔵して公開されています。三の丸尚蔵館の前を通って受付に入園票を返すと大手門です。
さて、中の門跡に戻って、広場殻中の門に、向かって右手になにやら看板が。中の門を解体修理したことの説明なんかが書いてあり、その際に切り出された石がおいてあったりします。看板を読んで、なるほど勉強になったと思ったら看板の前を通って石垣と石垣の間を通ると二の丸です。
本丸の開放的なところとは違って二の丸は木が多い昭和天皇発案で武蔵野の雑木林の一部を植えて、小さな林を作ってあることや、都道府県の木が植えてあったり、日本庭園の跡があったりする為でしょうか。ここだけをゆっくり見ても1時間は楽しめます。雑木林とかが好きな人はね。江戸城ゆかりの建物は、明治時代に復元された茶室がある位です。建物もお手洗いと茶室風の休憩所があるくらいです。二の丸にも建物が残っていたらしいのですが、戦争で火の粉が飛んできて燃えてしまったと言うことです。皇居と周辺の一部には、爆弾は落とされなかったと言うことですが、周りが火の海なので、火の粉が飛んできたと言うことです。
さて、二の丸には、雑木林があって、ちょこっとした、探索気分になれます。鳥の数も多くて、コゲラと言う小さなきつつきや、すずめ、シジュウガラを見ました。もちろん大都市と言ったらカラスですね。カラスも居ました。でかいのなんのって、くちばしも太いしね。それなので、嘴太カラス(ハシブトカラス)というのだそうです。郊外の山里なんかに居るカラスはくちばしの細いハシボソカラスが多いいそうです。で、人がそばへ寄った位では警戒はしているようですが、逃げることもしないです。
二の丸には、都道府県の木もあります。都道府県の木が植えられていて、珍しいものもあって結構面白です。
また、花しょうぶも植えられているので、花しょうぶの季節は良いようです。
何かだらだらと書いてしまった。問ういう事で、この辺でね。おやすみなさい。
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